連絡先アプリに「バカ」とか登録しておくと死ぬの?

  • だれかにメールを出すとき、どんな宛名で届いてるのか、不安になることってないですか?
  • ん、なんで?
  • MaciPhoneのメールって、表示されてる差出人や宛先を見ただけじゃ、本当はそこに何が書いてあるかわからないじゃないですか。で、気付かないうちに本人に見られたくない名前が送られちゃたりしないかな、と。
  • あー、たとえば「ほげ山」さんのメールアドレスを自分の連絡先には「バカ先生」って名前で登録してますみたいなこと? そういうの(下図)は危険だぞ。


  • こっちで「バカ先生」って表示されてるメールに返信すると、相手にも「バカ先生」で届くんですか?
  • いや、そうとは限らなくて、けっこう複雑なんだよね。たとえば、連絡先に「バカ先生」が登録されている環境で、ほげ山さんからFrom欄に「ほげ山 」と書いてあるメールを受け取ったとすると、山ライオンやiOSのメールアプリでは、こんなふうに見える(下図)*1。リスト部分(左)とメッセージ部分(右)でも表示が違う。


  • おっ。iOSのメッセージ部分に「バカ先生」出てます!
  • うん。で、これに返信しようとすると、こうなるわけだ(下図)*2


  • 「バカ先生」って表示してたiOSでも、ここは本人が名乗ってきた「ほげ山」になるんですね。
  • じゃあ、次。From欄にメールアドレスしか入っていないメールをを受け取ったときは、こうなる(下図)。


  • 今度は揃って「バカ先生」出ました!
  • これに返信しようとすると、こう(下図)。


  • あー、山ライオンはついに返信ウインドウの宛先欄にまで「バカ先生」を入れてきましたねー。ここで送信ボタンをポチッとすると、バカ先生は行ってしまうのか? イヤな汗の流れる瞬間ですね!
  • まあ、答えを言えば、たぶん行かない。
  • た、た、たぶん?
  • 余計なことをしなければ、こっちでは「バカ先生」になっていても、送られるメールのソースはメールアドレスのみになっているはず*3。ただし、宛先に触ると死ぬぞ。
  • 死ぬんですか……。
  • たとえば、宛先のソースがどうなっているのか気になって「バカ先生」の部分をダブルクリックしたりすると、そのアクションでソースに「バカ先生」が入っちゃうんだよね。それはまあわかる気もするんだけど、実際には「バカ先生」に一度でも触ると(クリックしただけで)アウト。
  • じゃあ、念のために宛先の「バカ先生」を消して、そこにほげ山さんのメールアドレスをコピペすればだいじょうぶですか?
  • より確実に死ぬ。それをやると自動補完されて、ソースに「バカ先生」が入っちゃうから*4
  • くうう、何が何でも「バカ先生」を送り付けるつもりですか、山ライオンは。
  • ていうか、本人に見せられない名前を連絡先に登録するのをやめろってことだよね*5

*1:今回用いた図における山ライオンのメールは、すべて「環境設定>表示」の「スマートアドレスを使用」にチェックを付けた設定のものであり、説明もそれを前提としている。この設定は、(今回テストした限りでは)表示以外の挙動には無関係。「スマートアドレスを使用」のチェックを外すと、常にメールアドレスが表示されるが、ソースをそのまま表示しているわけではないので注意(連絡先を参照してソースに含まれていない名前を表示していることもある)。

*2:返信画面の図でiOS側の差出人がhogeyama_suteado@yahoo.co.jpとなっているのは、(このエントリのストーリーと合っていないが)スクリーンショットを撮る際に「見えてしまうアドレス」を捨てアドにしておいただけで、それ以上の意味はない。

*3:『宛先が「バカ先生」となっていても、送られるメールのソースはメールアドレスのみになっているはず』なのは、あくまでも「From欄がメールアドレスのみのメールに返信しようとした場合」の話であって、一般論ではない。また、わたしの環境でテストした結果に過ぎず、近い将来に仕様が変更される可能性もある。普通にほげ山さん宛のメールを新規作成したような場合、基本的に「連絡先」が参照され、ソースに「バカ先生」が入って死ぬ。

*4:たとえば「ほげ山大先生 」のように、何らかの名前を入れておけば、自動補完されることはない。名前を入れなくてものように山括弧を残しておけば、すぐに自動補完されることはないようだが、トリッキーで不安定な方法であり、おすすめできない。この方法を用いた場合も、一度下書きフォルダや送信フォルダに保存してから開き直すと宛先は「バカ先生」になっており、これに一度でも触れるとソースに「バカ先生」が入って死ぬ。

*5:当然の結論だが、連絡先に登録してある名前が外に出ないよう運用するのは現実的ではない。